創業前史
当社の発祥は、石川賢治氏によって創業された匿名組合「石川商会」とその事業を引き継いだ「合資会社丸石商会」の設立に遡る。
丸石商会を母体として生まれた会社は、当社を含め24社に及ぶ。
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当社の発祥は、石川賢治氏によって創業された匿名組合「石川商会」とその事業を引き継いだ「合資会社丸石商会」の設立に遡る。
丸石商会を母体として生まれた会社は、当社を含め24社に及ぶ。
株式会社丸石商会は「染料部」を新設し、大阪に本部を置いて染料および染色用薬品類の輸入と国内販売を開始した。これが、当社の創業となる。
金融不安が高まり銀行の取り付け騒ぎが相次いだ昭和金融恐慌の最中、当社の前身となる丸石染料株式会社が設立された。丸石商会染料部の業務を継承し、大阪本店と東京支店で従業員数は数名という船出であった。国産有機ゴム薬品類の販売や化学薬品の輸出業務など事業を拡大し、名古屋、京都、福岡の国内の拠点のほか、外地にも支店・出張所を開設した。
空襲による本店および支店の焼失、敗戦による外地の事業の廃止など、当社の戦後はまさに苦難の出発となった。大阪市福島区に移した大阪本店と太洋ビルに移した東京支店で営業を再開し、ほどなく名古屋支店も再開した。
そして、取扱品種の多角化に合わせて社名を丸石化学品株式会社に変更し、文字通り新たなスタートを切ることになった。
焼け野原から始まった日本の戦後は、昭和20年代の後半から年平均10%以上の成長を続ける高度経済成長期を迎える。エネルギーの主役は石炭から石油に変わり、合成樹脂を中心に化学品が飛躍的な進化を遂げることになる。当社は、住友化学工業株式会社(現、住友化学株式会社)の経営参加による新たな体制で、高度経済成長下での躍進を続けた。
1960年代に入ると合成樹脂製品は日用品に多く採用され、石油化学工業は暮らしを支える基幹産業としての躍進を遂げていく。塩化ビニール、無水フタル酸、イソシアネート類、合成ゴムなどが次々と上市され、取扱品種が多様化するなか、当社は創業50周年を迎えることとなった。
1964年の東京オリンピック、1970年の日本万国博覧会(大阪万博)などの国際的なビッグイベントを節目として高度成長を続けてきた日本経済は、1970年代、2度にわたるオイルショックで大きな痛手を受けた。当社においても、仕入れ品の高騰、需要の急激な減少などに大きな影響を受けたが、その危機に対応して成長を続けた。
1980年代・90年代の日本経済は、日米間の貿易摩擦を背景にしたプラザ合意による円高不況に始まり、後にバブル景気と呼ばれる景気の過熱とその崩壊、阪神・淡路大震災の発生、金融機関の相次ぐ破綻など激動の20年であった。そのなかで、当社は新社屋完成を機に新商品・新分野の開拓などで事業をさらに進展させ、景気低迷期には事業の再編で経営の効率を高めるとともに、ゴム薬品など新たな事業の柱となる新規事業の開拓を進めた。
2000年代前半の日本経済は、世界経済の成長による輸出に支えられ、緩やかな景気拡大局面が続いた。2005年からは原油価格が高騰し、化学品原材料の価格上昇が続いた。当社は引き続き事業の効率化と新規市場の開拓を進め、第82期(2007年度)の決算で売上高が400億円を突破した。また、タイに現地法人を設け戦後初となる海外進出を果たした。
創業90周年からの10年間は、米国の投資銀行リーマン・ブラザーズの経営破綻に端を発した国際金融危機による世界同時不況、さらに2011年の東日本大震災とその後の円高など、日本経済は大きな試練が続いた。当社は、塗料事業の効率化や空調事業との統合、筆頭株主となった稲畑産業株式会社の支援による海外事業展開の加速など、大胆な改革を断行することで試練を乗り越え、創業100周年に向けて新たな飛躍を続けた。
石川賢治氏(当時36才)、匿名組合「石川商会」を 創立
カナダおよび米国より自転車、写真機、琺瑯鉄器などの輸入開始
石川社主病気で石川商会解散
石川商会の事業を継承(本店 横浜市、支店 大阪市)し、山口佐助氏を代表者として「(資)丸石商会」を設立
(株)丸石商会 染料部 新設
欧米等から染料および染色用薬品類の輸入と国内販売を開始し、その後国産合成染料、中間物および工業薬品類を取扱い、さらにドイツ製品(染料および工業薬品類)の国内一手販売権を取得し、輸入販売を実施
塗料および顔料類の取扱い開始(関西ペイントと取引開始)
丸石染料(株)設立(現、丸石化学品(株))
山口佐助氏の一業一社の構想に基づき、(株)丸石商会染料部の業務一切を継承して、新たに当社を設立(資本金15万円)し、本店を大阪市西区新町北通1-1に、支店を東京市神田区南乗物町14に設置
丸石商会所有不動産の保全を目的に(株)太洋商会設立
20万円に増資
名古屋支店を開設
60万円に増資
100万円に増資
韓国、台湾、中国等主要地に支店、営業所を開設(昭和20年8月 終戦とともに閉鎖)
福岡営業所を開設
日本化工塗料(株)に経営参加
戦災により本社を福島区に移転
丸石化学品(株)に社名変更
取扱品種の多角化に対応(資本金100万円、株主数97名、従業員 数87名、経常利益100万円)
300万円に増資
500万円に増資
1,000万円に増資
広島営業所を開設
2,000万円(40万株)に増資(住友化学、関西ペイント各4万株)
3,000万円(60万株)に増資(住友化学8万株、関西ペイント7万株)
住友化学が経営参加へ
丸石化洗(株)設立(名古屋支店工業薬品課の一部を継承、その後、 昭和52年10月、丸石エンジニアリング(株)へ社名変更)
ネーベン(株)に経営参加
協栄化学品(株)設立(栄商会を買収して法人化)
名古屋支店に塗料調色場を設置
日本化工塗料(株)の経営権を関西ペイントへ移譲
堺営業所を開設
6,000万円(120万株)に増資
(住友化学33.6%、関西ペイント11.7%、太洋商会11.4%)
新社屋竣工
丸石機器薬品(株)設立(東京機器薬品部を分離独立)
丸石水処理薬品(株)設立(本店機器薬品部を分離独立、その後、平成元年3月、丸石エンジニアリング(株)に併合、大阪支店とする)
ファンタック堺センターを開設
住友化学染料取扱い廃止
住友化学・ゴム薬品取扱いを当社が全面受託
関東営業所開設
名古屋支店新築
丸石機器薬品(株)との事業統合により丸石テクノサービス(株)に社名を改称(旧名:丸石エンジニアリング(株))
広和商事(株)より商権継承
本社を現在地(西区・江戸堀)に移転
タイ現地法人 Maruishi Chemical (Thailand) Co.,Ltd.
(丸石化学品(タイ)株式会社)設立
ISO 14001認証取得(本社、東京、名古屋、関東営業所、広島営業所)
丸石化学品社員持株会設立
営業所を廃止、事務所統合(関東、広島、堺、郡山)
住友化学(株)が当社株式20%を稲畑産業(株)に譲渡、稲畑産業(株)が筆頭株主に
中国上海現地法人 丸石化学品贸易(上海)有限公司設立
100百万円(120万株)に増資
塗料事業と丸石テクノサービス(株)の事業を統合し、丸石テクノ(株)を発足
名古屋オフィスを名古屋市中区錦に移転
創業100周年を迎える
名古屋オフィスを名古屋市中区栄に移転
2023年度より稲畑産業(株)の連結決算対象子会社に
ネーベン(株)の社名を丸石プラス(株)に改称
本社を大阪市北区中之島に移転